Member 18 橋本 善次郎
1)意外な場所に事務所を構えた理由
>すごいところに事務所がありますねw
橋本善次郎(以下橋本)̶ 友達が飲みにくるので、夜はおちおち 働いていられない.
>職業が庭師だと伺っていたので、てっきり緑に囲まれた事務所を 想像していました.ここはどちらかというとネオンに囲まれた複合 ビルですよね.なぜ、ここに事務所を出そうと思われたのですか?
橋本̶ 理由は3つあって、まず、クライアントが来やすいところ に事務所を出したかった.庭の仕事をしている人は現場が中心にな るから、事務所も人里離れた場所に構える人が多い.でも、世の中 的には、造園をお願いしたいなと思っても、そもそも庭師ってどう やったら会えんの?というのが独立前の現状だった.それを変えた いなと.飲んだり食べたりする場所に事務所があったら来やすいし ね. 2つ目は、こういう場所やったら、若い子達もふらっと入って来や すいと思って.建築家のオープンディスクに習って、庭師の「オー プンワーク」をやったときも、全国から「庭に興味があります」と やってきた.でもそのほとんどが心を拗らした子らやった.あんま りにも沢山くるから、身近にもいるはずだと。 3つ目は、福山から海外に出るという目標があって、福山のランド マークと呼べるような場所に事務所を開きたかった.この「住吉ス クエア」は、丹下健三研究室にいたパンデコン建築設計研究所・近 澤可也が設計した商業施設で、『商店建築』という雑誌の前身で『商 業空間』という雑誌に特集されているぐらい、全国的にも話題になっ た建物.「住吉スクエア」いうたら福山でも知らん人はおらん場所 やから.
2)救われた命、庭師の道へ
>庭師の仕事をすることになったキッカケは?
橋本̶ これまで何度か命をすくわれたことがあって、まず2歳の 時に家の2階から落ちて死にかけた.たまたま庭にあったカイズカ イブキという木の上に落ちて助かった.15歳の時に家を改装する からそのカイズカイブキも伐採しようということになって、それま で、その木のことは気にかけていなかったけど、命を救ってくれた から「残してくれ」と親に頼んだ.親が当時の庭師に相談したら「、こ んなぼろい木、切った方が安いし、格好もええで」と言っていたの を聞いて腹が立った.その出来事もすっかり忘れて、20歳の時に アルバイトで庭師の仕事を偶然始めることになった.初仕事の主木 がたまたまカイズカイブキだった.その時は、そういえばそういう こともあったな~と思い出した程度やったけど、仕事も楽しいし、 初日の昼には庭師は俺の天職かもしれんと思った。だんだんと、そ ういえば阿呆なことをいった庭師がおったな~と思い出して、絶対 あんな庭師にはなりとうないな~と思う様になった.つまり、格好 じゃない.人には物語がある.そういうものを大切にしたい.屋号 の「庭譚」の譚も、物語という意味があってつけた.人を幸せに出 来ない格好だけのデザインなら、そんなものはいらないと思ってね.
3)生業=「生かす仕事」
4)造園側の問題
5)作庭の流儀
6)名コンビになるには
7)「尾道の家」の作庭
8) 福山から世界へ!
>なぜ、福山から世界へ!といった目標をたてられたのですか?
橋本̶ 福山にもどってきて、同世代の仲間達と話している時に、 福山を拠点に面白いことをやり続けるためには福山全体をもっと成 長させなあかんという話しになった.また、28 歳の時に、自分がす ごい社長さん達と出会って得たことを福山の仲間にも同じく経験さ せたい!と思ったから、仲間と「わかば会」という会を立ち上げて、 知り合った社長さんらを福山に招いて勉強会を開くようになった. それが段々発展していって、32 歳ぐらいの時には、政治にも話しが 及ぶようになり、色んなルートを使って、市長と対談できる直前ま でいったけど「そんな訳のわからん奴とは会えん」と断られた.結局、 身の危険を感じるまでやったけれど、何も変えることができなかっ た.その時に、一旦、会の活動はやめて、それぞれ世界に打って出 よう!となった.つまり自分の仕事を世界で認めてもらえるまで全 うして、その上で50歳ぐらいになったら、もう一度活動を再開しようと。
8)今後の展望について
(全文は会場にて配布いたします。)
「「生かす仕事」
木、場所、建築、人、そして街... 」
