Member 14 内田 哲広

 

1)これからどっぷり、これまで転々と

 

>建築に目覚めたのはいつですか?

 

 内田哲広(以下内田)—これからどっぷり建築に染まる気がしています。

 

>え?どういうことですか?

 

 内田—こういう機会を得たので、これまでの人生を振返ってみたのですが、ずっと嫌なことから逃げてきたと思います。事務所もひとつのところに長く勤めたことがありません。トータルしても設計事務所で真面目に働いた期間は短いです。

 

>どのようなところで働かれたのですか?

 

 内田—大学院を修了して、就職活動をしたのですが、面接を受けたところは全て落ちました。今から思えば当然です。やる気がありませんでしたから。

 一級建築士でも取れば良いのかなとひとまず勉強を始めたのですが、目標がある訳ではなかったので捗らず合格しませんでした。

 その後、神戸にある無名の設計事務所にアルバイトに行くことにしたのですが、5ヶ月を過ぎた頃、このまま続けていても面白くないな〜と思って辞めました。

 

>典型的な現代っ子じゃないですかw。

 

 内田—その後、福岡の設計事務所にも短期スタッフとして働きました。しかし、実務経験が乏しく、協調性もなかったので半年たった時点で更新してもらえませんでした。

 

>建築とインテリアはそこまで違っていますか?

 

 内田—全く違いますね。つくり手の意識が違います。法的なものに対する意識や、構造があるかないかでも異なっています。なので、次第に物足りなさを感じるようになりました。真っ新の状態から新築の設計がしたいな〜と。

 

2)福岡タワーとバズーカー砲

 

>おっ建築に戻ってくるのですね。最初の質問に戻るのですが、最初に建築を意識したのはいつですか?

 

 内田—親が言った一言ですね。中学か高校の頃に「建築に向いているじゃないの?」と言われました。両親は建築が何たるかを理解していた訳ではなかったと思います。絵を描くのが好きで、数学が好きで、物理が好きで、そんな息子を見て安易にぽろっと口が滑ったんだと思います。その証拠に親は言ったことを覚えていませんでしたw。

 それはさておき、最初に意識したのは、福岡にある福岡タワーを見た時でした。出身が北九州市で、「よかトピア(アジア太平洋博覧会)」のために福岡に行った際、最初に目に入ったのがタワーで、カッコいいと思いました。

 次に、はっきり建築を意識する様になったのが、磯崎新さんの北九州市立美術館です。もちろんその当時は誰が建てたかまでは知りませんでしたが、大学の授業でユークリッド幾何学を駆使した設計と出てきて知りました。当時はどちらかというとバズーカー砲だと思っていましたがw。

 

3)広大時代

 

>大学の研究室は?

 

 内田—岡河貢研究室です。コンペ三昧でした。研究室はもちろん学年全体の仲が良かったです。卒業設計のときも18時になったら食堂に集合という習慣が生まれ、常時10〜20人、多い時だと30人ぐらいで一緒に夕食をとっていました。

 

>都会の大学にはない魅力ですね。

 

 内田—修士の卒業旅行では確か35人でツアーを組んで韓国に行きました。そのせいか、仲間も都市も色々なタイプがバランスよく繋がって出来るのが理想と思う様になりました。

 卒業式に仲のよかった3人組で「かみしも」で正装して出たのも良い思い出です。しかも、式に遅れて入場したので目立ちました。遅れたのは、着慣れていなかったためで、予想以上に時間がかかっただけなのですが。しかもひとりは踏んづけて借り物の貴重な袴を破ってしまいました。

 

>いいですね〜その手の悪巧みって!

 

 内田—面白いと思う基準がちゃんとあって、爆笑ではなく、クスクスなんです。かみしもの意匠も単にふざけたわけではなくて、江戸時代ではそれが最もちゃんとした正装だったわけです。ルールに真面目に乗っ取りながらも、だから生まれるシュールな面白さに興味があります。

 

4)「みんか2013」

5)とんがり帽子の屋根の効果

6)磁場をつくる

 

>建物以外というと、例えばどういったモノでしょうか?

 

 内田—力を及ぼす磁場の様なものです。建物に限らず人や物には目に見えない力の及ぼす領域の様なものがあると思っています。人と人、人とモノは力を及ぼしあっていて、そこに新たに場が発生します。建築とはそれらを如何に関係づけるかを考える仕事だと思っています。

 

全文は当日会場で配布いたします。

 

「創造的フィールドワーク

 エリアアーキテクトのさらに奥へ」

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