Member 13 鍵山 昌信

 

「全てを受け入れて 

 違和感のない、新しい建築へ

1)夢は漫画家

 

>なぜ、建築の道に進もうと思われたのですか?

 

鍵山昌信(以下鍵山)—実家が本屋で子供頃から漫画や小説ばかり読んでいました。なので、当時の将来の夢は漫画家になることでした。親が就職しやすい様に一計をめぐらして「絵がうまくなるから」と半分騙されるかたちで入ったのが呉高専の建築学科でしたw。でも、良いこともあって、建築雑誌等の専門書は呉だとなかなか手に入らないのですが、親に言っておけば翌日に届いていました。

 

2)真面目な呉高専生、一転して闘志に火が!

 

>呉高専時代はどのような学生でしたか?

 

鍵山—真面目な学生でした。目立たず地味に過ごしていました。ところが、五年生になって転機が訪れます。設計製図の授業に、呉高専では始めて非常勤講師として建築家の岩本秀三氏と遠藤吉生氏が来られることになり、「セカンドハウス」という課題が出ました。大空山の頂上にある公園を敷地に好きな場所を選んで別荘を設計する課題でした。課題説明の際に、岩本先生がコップを手に取って、「これは何だ?」と質問して、ある学生が「コップです」と答えると、待ってましたとばかりに「これは花瓶だ。ここに花を一輪指したら花瓶だろう」と。

 

>授業をご一緒した経験があるので存じています。最後はコップを逆さまに置いて「これは何だ?」と質問されたのでは。日頃、既成概念(=記号)でしかモノを見ていないことに気付きを与える一つの方法ですね。

 

鍵山—真面目な学生だったのでそれまでは成績は良い方でした。しかし、建築家の方に指導を受ける様になって評価は逆転しました。逆に、モデルを感覚的にきったりはったりするタイプの学生がいて、何が面白いのだろうと思っていたのですが、彼らが高く評価される様になりました

 

>お二人とも、流行や器用さよりも自分の頭で考え抜くことを評価されますよね。

 

鍵山—特に、岩本先生が超恐くて、苦手で敬遠していました。呉高専を卒業後、編入先として広島大学を考えていたのですが、岩本先生から釘を刺されました。「成績のいい学生は直ぐに進路先を広大と答えるが、それは何も考えなくていいからだ」と。確かに、成績の良い呉高専生は自動的に広大へ編入できました。もともと負けず嫌いな性格だったので、そのことが悔しくて、そうでないことを実証しようとあえて広大に進学したところがあります。闘志に火がついたのはその頃からです。

 

 

3)プランニングで埋め尽くせ!

 

>広大ではどのような学生生活を過ごされたのですか?

 

鍵山—広大では岡河貢先生の指導をうけました。岩本先生によって焚き付けられた闘志をドライブさせてくれたのが岡河先生でした。

続きは会場で配布いたします。

 

4)破壊行為の広島から守りの京都へ!

5)Megaスピリッツ!

6)アソシエイツに憧れて

7)和歌山の住宅

8)禅宗のお寺

9)富田林市の公営住宅

10)広島か、大阪か

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