Member 07 前田大輔

 

「親しみやすい関係

 旅のような予期できない建築を目指して」

<1.建築にはまる>

 

>なぜ、建築の道に進もうと?

 

前田大輔(以後前田)―出身は長崎ですが、大分大学へ進みました.でも、その頃はそこまではっきりと建築がやりたいというわけではありませんでした.建築学科に入ったきっかけは、父親が鉄工所をしていたのでなんとなく建築業界がむいているのかなぁと、漠然としていました.

 

 

>ほう〜、すると明確に建築に進もうと意識したのはいつですか?

 

前田―大学三年の頃です.一、二年の頃は、部活とアルバイトが中心の生活でしたw.三年になって、非常勤講師で来られていた地元建築家の山口隆史先生と出会いました.その当時山口先生は60才ぐらいだったと思うのですが、「俺なんか、まだまだ若造なんだよ」とよく言っていて、なんかこの人かっこいいなぁと。w.

大分の市街地に五番街という通りがあります。かつては、アーゲード街だったのですが、アーケード街だったころは、寂れていたらしく、それを何とかしようということで山口先生が担当されました.その計画というのが、「お天道様の光を入れよう」って屋根を取っ払って、「雨も迎え入れた方がいい」から、地面を雨の水の波紋のようにピンコロ石を敷き詰めた計画なのですが、通りの印象が明くなり、イメージが大分のちょっとおしゃれな通りとして一新されました.すると次第に商店街の人の意識が変わって行き、面白いお店が自然と増えたりして自発的に何かやってみたくなる雰囲気がうまれていきました.若造だと言ってるのに凄いことやってる!この人の生き方かっこいい!!と憧れました。

それからです.建築にはまりだしたのは.

 

>具体的にどのようにはまって行ったのですか?

 

前田―地方の田舎にある大学だったので、そもそも建築の設計とか、デザインとかを目指す学生が周りにほとんどいませんでした.ちょうど山口先生に出会って建築はおもしろい!と思い始めたころは、インターネットをみんな使え始めるようになった時代だったので、南洋堂書店のサイトなんかにアクセスして、自分でelquroを買ったりしてレム・コールハースやMVRDVなどのことを知りました。一見するとハチャメチャな建築なのに、しっかり読むとちゃんと根拠があって面白いなと.そうやって建築にはまっていきましたねw.

おもしろい!って思った勢いで、オランダにいこうとおもってw、三年生の春休みに、ユースホステルを転々としながら2週間ほどまわりました.すると、同じくバックパッカーで東京からきた建築学生らと仲良くなって、東京の建築家やオープンデスクに行った話しを聞いて、がんばんなきゃ!と思った記憶があります.

帰ってくると、ちょうど先輩達が「けんちくうんちく」という学生主体の勉強会を始めたので参加するようになりました.当時伊東豊雄さんの大分事務所があり、第1回目のゲストとして、所員であった福島さんや藤江さんが登壇されました.次の回では塩塚隆生さんがこられて、1回目のゲストと議論したりしておられ、刺激的なイベントでした.

 

>おっ!塩塚さんの影響もあったのですか?

 

前田―その後大学院に進むのですが、そのまま大分大学の大学院に進学しました.最初は県外の大学院も考えましたが、塩塚さんの活躍を知って、地方でも出来るのだと思い直しました.若くてスマートな感じの人で、これまたかっこ良くて、「僕もこんな人になりたいなぁと。」憧れた建築家の2人目の人ですねw。

 

>大学院時代はどのようなことをされたのですか?

 

前田―大学院一年生の時に、またうずうずしてw、建築マップ、ヨーロッパの地図、地球の歩き方を頼りにヨーロッパを3ヶ月ほどまわってきました.夏休みを勝手に一ヶ月延長したのでw、先生からも呆れられましたが、交渉して

別メニューを組んでもらい何とか許してもらいました.でも、そこまでして行った価値はありました.

 

>やはり、本家本元の建築は感動的でしたか?

 

前田―設計で飯が喰えるかどうか分からない世界ですから、迷いがありました.しかし、旅行に行って覚悟が決まりました.

まず、建物単体ではなく、街全体で空間を作り上げているところに感動しました.その中でもシエナのカンポ広場は秀逸で、アイコンの様な塔を目指して街の中に入っていくのですが、通りが細長くてゆるい曲がり道になっていて先が見通せない.その道を抜けて行くと、ばっと明るくて開かれた扇状の広場にたどり着いて、わっと感動する訳です.しかも石畳の硬い広場なのに、歩くと感じる程度の緩い勾配がついていて、観光客が思い思いに座ったり寝転んだりしていました。とっても不思議で、素敵なかんじでした。

 

>覚悟決めるきっかけとなったおススメの建築を挙げるとすれば?

 

前田―2度ほど決定的にやられた!という建築がありました.ひとつはスペイン、バロセロナにあるアントニオ・ガウディ作のサグラダ・ファミリアです.圧倒的で涙が出ました。「ああ,作るっていいなぁ」と。もうひとつは、スイスにあるピーター・ズントーの建築です.現地で知り合った建築学生達が口々に勧めるので行ってみたのですが、土地に馴染むことによって生まれる力強い建築がたっており、こんな建築をつくりたい!と想いを強めました.

 

>何カ国ほどまわられたのですか?

 

前田―11ヶ国いきました.イギリスから入ってフランス、スペイン、ポルドガル、フランス、イタリアといった感じで、左回りで廻ってきました.計画では最後に北欧も見に行く予定でしたが、時間切れでまわれませんでした.それが心残りでした

 

 

<2.スロープにはまる>

 

>大学院ではどのような研究をされたのですか?

 

前田―そもそも、福祉環境工学科という名前の学科でしたので、計画といっ

ても医療系や福祉系で、周りの学生は認知症の患者さんの追いかけ調査等をしているような研究室でしたw.ただ、先生も三年生の頃から変な学生だなと評価してくれていたのでw、「あなたはこれをやってみたら」と託されたテーマがスロープのデザインの研究でした.最初はなぜスロープ?と思いましたが、よくよく考えてみると最初に影響を受けたオランダの現代建築も、床をグニャグニャと複雑なボリュームをスロープでつなげる設計をしていましたし、モダニズムの巨匠のル・コルビュジエもスロープを多用しています.

ル・コルビュジエの代表作であるサヴォア邸は、階段があるにも拘らず、真ん中にスロープがあります.このスロープって一見すると必要のないものに思えますし、合理的性を追求するモダニズムの思想からも矛盾しているように思えます.しかし、スロープがあることで、家の中に奥行きや余白がうまれおり、一番ドキドキする場所になっているわけです.スロープについて調べているうちに、どんどん面白くなってきてスロープにはまって行きましたw.

 

 

<3.サポーズにはまる>

 

 

>私もスロープが大好きです.就職活動はどのように?

 

 

前田―自分の中でアトリエ事務所にいく事を決めていたので、在学中は就職活動をしませんでした.卒業間際に、ニュートラルな感じの作風の印象を持っっていた納谷さんの事務所に興味があって東京に行きました。納谷事務所の所員さんに、現場に連れて行ってもらったりして、お世話になったのですが、東京の満員電車にのって「これは無理だなぁ」と。住む街としてピンとこなかった。そこで、半年ぐらいアルバイトしてお金を貯めてから再スタートしようと一旦実家の長崎に帰ってきました.そうして一人になってみるといろいろ考え方も変わって、ニュートラルな感じを目指すのも違うなぁと思い始めて。そんな頃にたまたま本屋さんで立ち読みしていたら、谷尻さんの記事を見つけました.毘沙門台のフロートが載っていて、コールハースみたいなことする人がおる!って思いました。履歴をみると、誰から教わったわけではない人みたい。これは間違いなく面白い人だな!とおもって、勢い余って「働きます」とメールをいきなり送ったら、「まずは一週間ぐらいアルバイトしに来たら」といった全うな返事が返ってきてw、直ぐに広島に遊びに行くことにしました.

 

 

>その頃のサポーズってどんな感じでしたか?

 

前田―谷尻さん、愛さん、大野くんとさくらという愛犬がいましたw.そのときは、一週間ユースホステルを取ったのですが、ほとんど帰ることはなったですねw.最終日もやっぱり遅くまで仕事していて、谷尻さんが「家に泊まったら?」と自宅にも泊めてもらいました.一週間いるうちに、やっぱりこのひと面白いなぁ〜と思って、最終日に自宅にも泊めてくれたし、夜も遅くまで話してくれたし、これって来ても良いといいことかなぁと勝手に判断してw、長崎に帰る日に、事務所のすぐ近くのアパートとアルバイト先を決めて帰りました。そして、一週間後に電話して、「明日から来ます!」といってサポーズにはいりましたw.

 

 

>勢いがありますね.サポーズで働きたいと思った一番の理由は?

 

前田―初めて事務所を訪れたときに、谷尻さんは、水色のパーカーを着ていて、爽やかなお兄ちゃんという感じでした。さらに、建築を凄く簡単に語るところもかっこよかった。「結局のところ建築って、大きい小さい、高い低いだけよね〜」と.そんなところが面白いな〜と思いました.ただ、最初はいきなり押し掛けたので給料もないので、朝6時前に起きて、6時半頃から昼までアルバイトをして、13時から夜中の2時ぐらいまで事務所で働いて、歩いて3分のところにあるアパートに帰って、4時間寝れるかな〜という生活をおくっていました.

 

 

>それはハードですね〜

 

前田―でも、半年もしないうち、「バイトせずにきたら?」と言ってもらえるようになりました.

 

 

>言い方がまた憎いですね〜

 

前田―谷尻さんの爽やかさは、天性のものだと思いますが、頑張るのは当たり前で、それを相手に見せずに、サラッとなにか飛び越えた物を生み出すのが格好良いという美学の様なものがありましたね.

 

 

>小松さんは後から入って来られたのですか?

 

前田―歳は同じですが、半年ぐらい後に小松君が仲間になりました.

 

 

>開始時間は?

 

前田―10時からスタートなので、9時45分には事務所に来て掃除をするのルールでした。ところが、朝、谷尻さんが定時に来ないことがときどきあって、どうしたのかなと思って電話をいれると「ドアを開けたら前にワニがでた」とか、「ホワイトタイガーがでた」とか冗談でかわすんですw.

用事で電話がかかってくるときも、「ラーメン、餃子2人前ね」とかいってふざけるんですよw.まじめに仕事しているときにですよw.

 

 

>何年ぐらい所員をされていたのですか?

 

前田―4年〜5年ぐらいですね.

 

 

>その間何物件ぐらい担当されたのですか?

 

前田―インテリアも含めると、20件強を担当しました.

 

 

>多いですね〜.何か印象に残っている担当物件とかありますか?

 

前田―どれも色んなエピードがあるのですが、最初に担当したのが、「鳥串一代」という店舗のインテリアデザインでした.住宅では、「西条の家」や「坂の家」などを担当しました.途中から県外担当が多くて、山梨の「甲府の家」の時は行ったり来たりするのが旅行みたいで楽しかったですw.

住宅以外だと宇品の結婚式場である「The South Harbor Resort」を担当しました.辞めた後も担当していた物件が竣工するまで事務所に出入りしていました.

 

 

>サポーズ事務所の魅力といえば?

 

前田―今から思うと幸せな関係だったな〜と思うのですが、施主さんとも現場監督とも仲良くなることが多くて、 打合せに行くと、お施主さんが飲みに行きましょう!ということが良くありました.

あと、当たり前のことなのですが、分からないことがあったら人によく聞く事務所でした.背景には谷尻さんが、人好きということもあるかとお思いますが、やり方は分からないけれど、こうしたい、きっとできるだろうというスタンスで、わからない事があれば、わかる人に聞く。その結果、プロジェクトにどんどん人を巻き込んで行く感じでした.

最初の担当物件だった鳥串はアルバイト先の近くだったので、頻繁に現場に

寄りました.現場の人に本当に色々なことを教えてもらいました。このときは、大工さんが、「君らの書く一本の線にはちゃんと意味がある」って図面の大切さを教えてくれました.しっかり考えて図面を書きなさい!ってことですけど、そんな事も現場の人が教えてくれました。

 

 

>独立はどのように?

 

前田―長崎の「西海の家」は、実は兄の家でして、サポーズにいる時に頼まれました.谷尻さんに相談したところ、「自分でやったら?」とw.また、広島で知り合った友人がお店を出すというので、それも相談したら「いつもやってるから自分でできるでしょ?」と.そういうことが重なってきたので、独立しようと思いました.

 

 

>谷尻さんってチャーミングですね〜.他に谷尻誠語録ってありますか?

 

前田―良く言っていたのが「誰よりも不真面目に考えて、誰よりも真面目につくる」とか良く言っていましたね.語録というわけではないのですが、「いいこと思いついた!」といって指をパチンと鳴らしたりして。

あ、、、、でも今「師匠は・・・とかそんな風に言ってたら駄目じゃん、僕よりもっと先を見ないと追い越せないよ」という天の声が聞こえてきましたw.反省しますw.

 

 

>地元の九州ではなく、広島を拠点にした理由ってあるのですか?

 

前田―広島の人と結婚したからwでしょうか.三人兄弟の末っ子ですので、あまり地元に帰ろうという地元志向はないですね.

広島という街はすごくいいな〜と思います.コンパクトだし、緑もあって、川もあって、地形も立体的だし、気候も温暖で、何より人がいいですよね.

 

<4.テーマは親しみやすい関係>

 

 

>独立されてからの作品について解説をして頂けますか?

 

前田―まず、鷹野橋にある、「清耽(きよたん)」という創作和食の店舗デザインをやりました.すごく美味しいお店なのでおススメですよ〜

 

>必ずいきますw.クライアントとはどのように知り合いになられたのですか?

 

前田―当時住んでいたアパートの近くに「わらべ」というお好み屋さんがあって、行きつけのお店になったいたのですが、そこのマスターが常連客同士を紹介してくれたり、たまに常連客を集めて飲み会を開いたりしてくれたのですが、そこで知り合いになったひとがいて、その人は「山人」というお店の常連さんで、清耽の大将は、当時「山人」で修行していたのですが、その人が「山人」主催のイベントに誘ってくれて。8月6日に原爆ドームの川沿いでお酒を飲む集まりだったのですが、そこで知り合いました。当時、僕も清耽の大将もお互い修行中の身で意気投合して。そのとき、「僕が独立するときは、前田さんにお願いします」と言ってくれたのですが、誠実な人で、本当に依頼してくれました.

 

>コンセプトは?

 

前田―13坪という本当に小さいお店でしたが、和食なので、一人だけではなく親しい方と一緒に来ることも多いだろうから、カウンターとは別に個室の様なスペースを設けたらと提案しました.まず考えたのは、小さい部屋の中に屋根を作って、建築内建築のような構成。屋根を作る事で、その外側は路地見たいな感じがするかなぁと思って、そこをカウンターにしました。

大将からの要望で、全てのお客さんの状態がわかるようにしたいということで、屋根は、ルーバー状の屋根にしてカンター席とテーブル席を緩やかに区切ることにしました.その結果、テーブル席から座って見ると、ルーバー屋根がブラインドのように目隠しになりますし、カウンターの内側から立ってみると、ちょうど透けて奥まで見える位置なので、お客さんの様子がよく確認できるという、双方に取ってよい関係性をデザインできたと思っています.

もう一つチャレンジしたことがあります.予算があまりなかったので、どこにお金をかけるかという問題に行き着きました.そこで、素材はシナ合板という安価なものにするかわりに、手間暇をかけて、一つの材料で全てを仕上げることにしました.職人の手仕事を仕上げにするというような。

 

>確かに、言われてみると、屋根のルーバー、棚、ドアの仕上げなど、全てシナ合板ですね.その結果、屋根という建築の外観のスケールと階段や棚という

家具的で内観のスケールがメタメタメタと陸続きになって、不思議な空間が生み出されていますね.屋根と見れば外の様で、階段としてみれば内の様なところも不思議です.また全体が照明のシェードのような役割もしていて、一つの形が多義的な意味を持っており、空間が振動して豊かな印象を受けますね.

 

前田―お客さんが、店の説明をする際に、中に階段のある店と言う人がいれば、中に屋根のある店という人もいたりして、いろんな見方をされていて面白いです.

 

>改めて振り返ってみて、このプロジェクトで得たものとは?

 

前田―親しみやすい関係を作りたいと思って設計しました.シナ合板は9mmや12mmといった、薄いものを使っています.細いものや小さいものを積み重ねながら、いろんなディテールで全体まで構成していきました。

一般的にも小さいものってなぜか全力でかわいい。たとえば、赤ちゃんとか。小さいだけで、親しみやすさを覚えるといったところに興味を覚えます.

建築材料って基本的に固くて強いので、ちゃんと関係性をつくってやわらかくしたい。

また、今回、素材を一つに制限することで、逆に色々な質感や表情がうまれたところも注目しています.例えば、この棚、ピッチが同じではありません.下の方がよく使うということで、広く取って、上に行くほど狭くしています.扉も、シナ合板の小口面を貼っることによって、デコボコした独特の表情をつくっています。

 

>予算はいくらだったのですか?

 

前田―予算が350万円という驚異的なローコストでしたが、それでもやろう!面白いことをやろう!ということで、マイナスをプラスにかえていくプロセスが一番面白かったです.逆境に追い込まれるほど、それを飛び越えようとして力が宿るということを実感したプロジェクトでした.

 

<5.予期できない生活を目指して>

 

>次に、住宅である「西海の家」の説明をお願いできますか?

 

前田―対照的に、約300坪の広い土地でしたw.長崎県西海市の山中を通る

国道沿いにあり、坪一万円という地価でしてw、どこまでが兄の土地か分からないような広々とした敷地でした.兄は大島造船所という会社で働いていて、当初は社宅のアパートに住んでいたのですが、あまりにも閉鎖的なコミュニティに嫌気がさして、広々としたとした土地を買って、大らかな住環境を手にしたいと思ったようでした.

最初はハウスメーカーに相談しに行ったところ、どれも面白くないプランが返ってきたそうですw.また、兄はバイク好きで、家の中からもバイクが見える大きなガレージを要望していました.家族は本当に仲が良いいので、「明け透けの方がいい、後はすきにやってくれ」と言う感じでしたw.ならば、この土地の広さを活かして、この土地全体で暮らしていると感じられる状態とつくろうと考えました.

 

>確かに四方に大胆に開いた構成ですね.

 

前田―まず体育館の様な大屋根の家がいいなとイメージしました.さらに、自然と外側に意識が行くように、屋根はよくある傘状の中央が高く淵にいくほど下がる勾配屋根ではなく、それを反転させてお皿のように中央が低く淵に行くほど勾配が上がるようにしました.エッジに行くほど外に投げ出される様な感覚になります.

この屋根は、構造的にも合理性があるだけでなく、下がってきた屋根裏面が、空間を緩やかに分節する役目も担っていて、足もとだけは見渡せるのですが、それよりは上は見えないといった効果があります.

そうはいっても、ご近所もあるので、プラバシーを確保するために、外周の位置に風車状に壁を配置してあります.そうすることで、構造的にも安定した風車状の壁の上に皿状の屋根がのるというシンプルな構成となっています.

この案を兄にプレゼンしたら、凄く気に入ってくれました.また当初は中庭に面して壁を考えていたのですが、構造家の大野JAPANさんが「なくてもいけるよ」といっていてその話を兄にしたら、「それは柱がない方がいい」といって、よりコンセプトが明確になりました.

また、付随する小さい箱には、寝室とお風呂といったプライベートな部屋をコンパクトに納めていて、シーンがぱっと変わるように構成しました.兄の家族は「毎日がキャンプみたいだよ」といってくれています.

 

>構造的なイメージが素直に空間として表現されているように見えるのですが.

 

前田―どっちかというと、空間をある程度イメージして、どうやったら構造として成り立つのか、その形を先に解きますね.サポーズ時代、当時はローコスト住宅の依頼が本当に多くて、構造体がお金が一番掛かるのでw、必然的に先に解く感じでしたw.

 

>逆に、ライフスタイルから解くことはないのですか?

 

前田―そもそも人の生活は将来どうなるか分からないものと考えています.生活を拠り所にせずに、この家に住むことで予期しない生活が始まるイメージの方が可能性を感じます.

実際に「西海の家」でも予期しないことがおこっています.例えば、遊びに行ったとき、中庭で兄はBBQをしていました.周囲に広々した庭があるにも拘らずです.理由を聞くと、BBQをしながらテレビをみるにはちょうどいいスペースなんだそうですw.最近では、この庭で亀を飼っているらしく、水槽の代わりみたいになっていますw.

住宅に関して言えば、もっともっと自由でいいと思っています.住宅の公共性はあった方がいいとは思っていますが、住宅の面白さってクライアントがOKなら存在理由になってしまうところですから.

 

>予期しない使われ方の中には、まずいな〜というものもあるのでは?

 

前田―反省点を挙げるならば、収納をほとんど造らなかったところです.兄は、まぁいいかなぁと言っているのですが、たまに行くと散らかっているので、正直片付けてほしいなと思うこともしばしばありましたw.最近では、これはこれでモンゴルのパオのように色々な出来事を共有できているわけなので、それはそれでいいのかな〜と思えるようになってきましたw.

 

>いずれ子供部屋が必要となったら?

 

前田―この地域は高校生になると船で左世保にある高校に行くそうで、年頃になった時に家を出る可能性もありました。子供部屋の必要性が生じない可能性もあるのですが、本当に子供が住むとなれば、敷地も広いしメタボリズムみらいに増殖していけばよいと兄と話しています。また、できれば、自分たちの手で増築していける方がいいと思っていて、クライアントの潜在能力を引き出すような拠り所なる器をつりたいと思っています.

 

>今振り返ってみて、このプロジェクトの成果は何だと思われますか?

 

前田―計画学のように合目的に機能が決定される設計ではなく、今から何が起こるか分からない空間をどうやったらつくれるのか?というテーマを意識したプロジェクトでした.旅と同じような感じ?何がおこるか分からないものがつくりたいという想いがあります.何がおこるかあらかじめ決めつけすぎているものはあまりつくりたくないです.

学生時代に影響を受けた青木淳の動線体という概念があります.熊本アートポリスで青木淳氏が設計した「馬見原橋」を実際に見に行ったことがあるのですが、渡るためにつくられた橋ではなく、歩いていると色んな出来事がおこって、新しい使い方が自然と生まれそうなまさに空地のような橋でした.そんな建築をつくりたいです.私にとって、親しみやすい建築というのも、そういう潜在的なクライアント力を引き出し、建築と住まい手が呼応することで新しい使われ方がうまれるような建築のことを意味しています.その背景には、カンポ広場の勾配のようにちょっとした違いでも人の振る舞いが変わることってまだまだ沢山あると思っています.

 

>どんなヴィジョンをお持ちですか?

 

前田―既に聞かれているかもしれませんが、現在、個人でやりながら、それだけだと食べて行けないので、組織設計事務所に勤めています.家族を養わないといけないしw.

自分でちゃんと食べて行けるようになるのが目下の目標ですw.ただ、勤めたことで公共建築の経験を積むことが出来きています。これまでの個人相手の設計とは異なり、相手が見えにくい中で、何を拠り所に設計をするのか、設計者としての想像力がより一層求められます.新たな気付きも多いです.

最終的には、やはり初心にかえって、おじいちゃん建築家になっても、「まだまだおれは若造だ」といいながら、スケールの大きい建築や街が活気づく様な設計活動をしたいです。

 

>いいですね〜.二足のわらじだからこそ出来ることがきっとあると思います.本日は長時間に渡りありがとうございました.当日もよろしくお願いします.

 

前田―こちらこそよろしくお願いいたします.

 

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