Member 03 田中 健二

 

「地方で小さくてもよいので武器をもって頑張ってやり続けてほしい」

1、「早稲田バウハウススクール」の衝撃

 

>田中さんの場合、建築に開眼した出来事って何だったのですか?

 

田中健二(以後田中)—早稲田大学の石山修武先生との出会いですね。22歳の時でした。石山先生が主催された「早稲田バウハウススクール」に参加しました。夏休みの間、日本中から、いや世界中から120人ぐらいの若者が佐賀に集まって、合宿しながら毎日のように出題される課題に取り組みました。大広間で畳がずらーと敷いてあって、ひとりにつき一畳が与えられます。しかし、結局その部屋には荷物を置いただけで、その後も殆ど寝室として使うことがなかったですw。荷物置いたら、すぐに石山先生さんから課題が出ました。ちょうど24時間後に講評会というスケジュールでした。私物以外で持ってきて良かったのはカッター、スケッチブック、筆記用具以上。まずは模型材料が必要だとなり段ボールを探しにいくところから始めましたw。また、講評会には、難波和彦先生、鈴木博之先生もおられ、遅れて隈研吾さんも合流されるなど錚々たるメンバーでした。TAとして高木正三郎さんもおられましたね。今から思うとあり得ないほど贅沢な環境でした。

 

>石山先生の課題内容は覚えておられますか?

 

田中— 家って普通は生きるための循環を生み出す場ですし、できれば営みを良くしていくための装置だと思うのですが、逆行する課題でした。母親が三年後に死を迎える。そのための家を設計しろという内容でした。翌朝の9時からクリティークが始まりました。石山先生は全員の発表を聞く訳です。120人ぐらいいますから終日かかります。そして、次の課題が出る。その繰り返しです。その当時、私は既に社会人でしたので、学生には負けてなるものかという気負いもありました。渾身のプレゼンをしたつもりでしたが、最初の頃は石山先生の反応は、全く相手にされませんでした。その後も、著名なゲストが来て、レクチャーをした後に課題を出して、翌日講評会というサイクルを一ヶ月ちょっとひたすら繰り返しました。

 

>ゲストにはどのような方がいるのですか?

 

田中— ゲストには、宮脇愛子さんや伊東豊雄さん、安藤忠雄さん、渡辺豊和さんなどがおられました。本当に個性的なビックネイムが次々にこられました。

 

>強烈なスクールですね!特に記憶に残った出来事はありますか?

 

田中— 鈴木先生の歴史のレクチャーはとても勉強になりましたね。安藤さんの課題は、確か翌日ではなく一時間後に出せ!というハードな内容でした。宮脇さんも50年間、重力と風の関係という同じテーマでずっと彫刻をつくっていると聞いて、なんてパワフルなんだと思いました。でも、一番大きかったのは、同世代にやはり凄い人間がいることが分かったことです。相対的に自分の才能がどれほどのものなのかが分かりました。最後の方はみんなバタバタ倒れていくのですが、そんな中でも凄い子は本当に凄いわけです。

 

>逃げ出す学生はいなかったのですか?

 

田中— いませんでしたね。それをやらないと建築家になれない!と思い込んでいる状況でした。これくらいパワフルにやらないとダメなんだと、そんな雰囲気でした。

 

>石山先生は最後まで口をきいて下さらなかったのですか?

 

田中— (当時?)奥手なので、周りの学生達のようにガツガツといけませんでしたw。翌年に上海で開催されたスクールにも参加しました。その様子をみて、石山先生が反応して下さるようになりましたw。そして、24歳の時、石山先生とじっくりと話し合う機会に恵まれました。専門学校卒でしたので、そのことがコンプレックスであることや、そもそも才能がないのではないかという不安があり、それを覆い隠すのに必死な自分がこれから先やっていけるのかと正直に告白しました。意外にも、石山先生は「それが一番大切だ」といわれました。「地方で小さくてもよいので武器をもって頑張ってやり続けてほしい」とアドバイスをして下さいました。事務所の名前をつける際に、「Small house design lab.」とつけたのも、このことを決して忘れないように刻んでおこうと考えてのことでした。

 

>なるほど、深いですね。他にもSmall houseに込められた想いってあるのでしょうか?

 

田中— 人類の歴史を遡ると、建築家という職能ができたのはここ最近のことで、そうではない市井の人々が建物をつくってきた時代の方が圧倒的に長いと思います。「建築家無しの建築」のように、現在という時代の中で、そういう匿名性と建築がつながるとどうなるのか、たとえば、ほうきのような道具と建築が関係して、もしくは定着して展開してくとどうなるのか?そんなことも考えたりします。

 

2、設計者として、新しい働き方とは?

 

>設計者としてどのような戦い方があるのでしょうか?

 

田中— 自分ができる役割についてよく考えます。地元にずっといて、友人も周りに多いです。クライアントと親しい距離感からできることもあるのではないかと思っています。また、スタディの精度を下げずに、ハウスメーカーと同条件のサービスが提供できないかと考えています。仮にそれができれば、建築業界は大きく変わるでしょう。そういった意味で、吉村靖孝さんが「CCハウス」で提案された図面の著作権フリーの仕組みは注目しています。そうやって図面を公開し、改変を認めることで、設計をバージョンアップしていく方法も戦略的だと思います。一方で建築家の大切な部分をどのようにキープするのかも気になっています。住宅の場合、建築の抽象的な部分と住むために必要な生活の部分とをうまく着地させないといけません。しかし、ずっと考え続けてきたことが、たったひとつのクライアントの要望で崩れてしまうということが多々あります。公共建築だと、市民といった不特定多数で上手く回避することができるのかも知れませんが、住宅の場合それができません。「ものほしがほしい!」となれば、こうなってしまいますよ、全体のコンセプトが崩れてしまいますよ、と今は会話のやり取りで何とか調整しているのが現状です。しかし、クライアントの要望を受け止めつつ、質を落とさずに成立することが出来る方法論を確立したいと考えています。そのあたりも皆さんと是非議論したいです。

 

>杉田宗さんとコラボレーションされているプロジェクトもその一環なのでしょうか?

 

田中— そうなればよいなと思っています。新しい設計の方法論として可能性はあるとおもっているのですが、今課題だと感じているのは、自動生成が上手くいき過ぎてしまうと、我々の職業がいらないということになりかねない点です。どこでお金がとれるかも、合わせて考えておこないと、建築家としての職能が根底から崩れてしまう危険性もあります。

 

>確かに、設計料が工事費の一割、もしくはそれ以下というやり方では、住宅だと労力の割には儲かりませんよね。結果、仕事はあっても儲からないというジレンマに陥ってしまいますね。

 

田中— 宗教建築をつくっていた時代は、パトロンがいて、建築家や芸術家をお抱えで雇って造らせていました。それが、モダニズムの時代がきて、旧来の仕組みが解体されて、設計料はこうやってもらうのですよというルールがつくられて、現代に至るのだと思います。それぞれの時代に合ったやり方をしてきた訳ですから、今の時代やこれからの時代に合った方法を考えてもよいはずです。安易に、幼稚園を設計してみたいな、美術館がつくれないかなといった誘惑もなくはないのですが、社名で一生懸命防いでいる状態ですw。建築家という職能を社会にどう還元して、どうやって対価をもらうか?をもっと考えていけかないといけないと思っています。特に、近年は、建築家といっても社会の中でどのようにポジショニングするかはどんどん多様になってきていますから。サッカーでもそうですが、強いチームほどポジションが流動的だったりします。一例として、コミュニティデザインの山崎亮さんは、まちづくりに必要な項目を全て書き出し、それぞれ項目ごとに価格を設定しておき、チャートをつくって、ここまでやると総額いくらといった方法で契約をされているそうです。建築家も無理して安請け合いするのではなく、プロの職能としてそういった流動的な役割に合ったフィーをもらう仕組みを考えていかないのではと思います。もちろん、誰かが陰で泣くことのないような仕組みであるべきですが。それぞれの職能を発揮できる、もっと言えば発揮したくなるwそんなフィーの仕組みをデザインしていかないと考えているところです。

 

>なるほど〜。確かに自画自賛や自作自演で対価を請求するのはなかなか難しいところがありますよね。

 

田中— 石山さんが元安川のふもとにカフェをつくる際、資金集めのお手伝い、いえ奔走したことがあります。図面を描くまでにどれだけのこと考えているのか、この建築にはどのような価値があるのかを説明してまわり、募金を募ったわけですが、第三者の目線で設計の価値を説明できる人がいれば、対価を設定する新しい制度やマーケットが生まれるかも知れません。そもそも、設計の対価をもらう仕組みがこれまで脆弱過ぎたといってもよいと思います。いい加減な設計管理をしているところもないとは言い切れません。根本的なところから見直す時期に来ているのかも知れません。それで思い出したことがあります。ある住宅の建築現場なのですが、周りを全てシートで覆っていました。その設計者達が素敵だったのは、そのシートに「こんなご家族が住みますよ〜」といったクライアントのプロフィールをグラフィカルにデザインしていたところです。今までになかった仕事を生み出しているように思いました。

 

>上手いですね。結婚式場のプランのように「気付いたら総額が予算オーバーに、でも一生に一度のことだからこの際」的なサービスってもっと工夫できるかもしれませんね。

 

田中— かつては絵描きがいて、ところが近代になって写真が出てきて、その危機から、モネやピカソが出てきたことを思うと、ハウスメーカーや3Dプリンターが出てきて、逆に新しい建築家像をつくるチャンスなのかもしれません。現場で何十棟も造っていると、どうしてもこうあるべきだと頭が固くなってしまいがちですが、現にハウスメーカーの中でも上質な空間構成やシステムをデザインしている人と出会ったり、クライアントの中にも自分よりも暮らし方のセンスがよい人達が出てきていたりしています。実際にそういう人達と接しているので、ピンチはチャンスとそう思うのかもしれませんが。

 

>確かに、設計を一生懸命やっていた学生が、いざ就職となるとアトリエ事務所ではなく、ハウスメーカーを志望する実態があります。

 

田中— 石山先生からは「建築家ほどかっこわるいものはないぞ!」と言われました。言い換えると、あの頃は前提として建築家はかっこいい職業だと学生達は憧れていたわけですよね。上の世代の立ち振る舞いで学生達は影響を受けますから、アトリエ離れは我々世代の問題でもありますね。一方で、未だに親友に「何やっているの?」「電ノコとかつかわないの?」と聞かれます。世間一般には、まだまだ建築家の職能が何であるのか浸透していないのかもしれません。まだまだやるべきことが多くありますね。また、プロとしての自負が持てないとクライアントから設計料がきちんと取れないこともやってみて分かってきました。うちの事務所では、所員に図面一枚一枚の対価を計算させています。そうしないとプロとして図面を描いているという意識が薄くなってしまいます。

 

>クライアント側にたったサービスやコストマネージメントが近々の課題になるでしょうか。

 

田中— 佐藤可士和さんのようなディレクションをやる人が「ふじようちえん」をプロデュースする時代ですから、建築業界からも建築家という職業を拡張して、新しい肩書き持つ人達がもっと出てきて良いのだと思います。一方で、設計の仕事受ける際は、設計する意味や対価についてもっとしっかり考えないといけない時代になってきていると思います。例えば、キッチンのコンロ選び1つとっても、もっとちゃんと考えないといけないのではと思っています。内の事務所では、メーカー各社の製品を比較した一覧表をつくっています。またクライアントの住宅についてもカルテもつくって、6年間は定期的に診断しています。そうでないとやはりハウスメーカーに負けてしまうと思っています。

 

>なるほど。一方で対価のあり方も変わるかもしれませんね。これからはお金だけではないのかもしれません。脱近代という意味では、お金はこれだけしないけれど、代わりにこのスペースを好きに使っていいから設計をしてくれないか、といった等価交換もこれからはあるかもしれせんね。

 

田中— 残りはお米で〜とか、確かにありえるかもですねw。そうなると、クライアント側のアクションも面白いことになるかもしれません。そういう仕組みを真面目に考えてみるのもよいですね。もうひとつヒントになると思うことがあります。石山先生が開発されたのですが、「太陽光発電のすだれ」というものがあります。日よけとして使われるすだれは逆に言うとしっかり太陽光があたる場所ということですよね。このような重複している行為は世の中まだまだあるはずです。ルームランナーが発電機になるとかw。そして、発電した電力を売るなり活用するなりして、地域に還元できるような仕組みを考案できれば面白いと思います。

 

>次の世代の育成方法や設計事務所としての拡張も我々世代の課題の1つかもしれませんね。

 

田中— 仲のよい事務所の所長と真面目に話しているのですが、スタッフを定期的に入れ替えようかと!それぞれの事務所のやり方や得意なスキルを共有した方が良いのではと盛り上がっています。さらに、それを拡張して考えると、業界を超えて交流をしていかないとこれからは食べて行けないのかもしれません。不動産やファイナンス、場合によっては施工者やクライアントも含めて、他業種の人達と一緒に話し合ったり、立場を超えて仕事をしたりする機会を増やしていかないといけないように思います。

 

>気付いたら、全く作品の話をしていませんが、、、別の機会にお願いしても良いでしょうか?

 

田中— もちろんです。このようなよい機会をもらって感謝しています。ただ、他の同世代の皆さんと議論する際にどんなテーマがよいかを考えた結果、「これからの建築家の職能について」がよいと思ったので、お話しさせて頂きました。ずっと考え続けていることですし、逆に谷村さん達が今回のTREESを通じてどのようにしかけて行こうと考えているかが気になっています。

 

>おっと、逆インタビューがw。まず、明確なヴィジョンがありません。仮にヴィジョンがあったとしても戦略的に働きかけようという魂胆は私(谷村)にはないです。というよりも、既に若い世代を中心に一人一人の間では、新しい時代に呼応するべく何か新しい試みが起こっていると思っています。それらを掛け算的につなげたり、もう少し全体に押し広げたりしたいという想いがあります。つまり、「もっと、やっていいんだ!」という状況や雰囲気づくりが目的です。なので、ゴールは今のところ設定していません。皆さんと議論を積み重ねる中で輪郭が定まってくればベストだと思っています。また、広島には上の世代が活躍してきた蓄積や歴史があります。そのアドバンテージを何らかのカタチで継承していきたいなと、というかそうしないともったいないといった想いが強いです。その一助になればと。つづきはつづく・・・で!引き続き機会をつくってやりましょう。当日も何卒よろしくお願いします!

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